【本を読もう、芸術に触れよう】
先日、文学賞の席で作家の先生方とお話できたことで 忙しさにかまけて引き出しの奥にしまったままにしておいた部分が覚醒して 急にせっせと活字を読みあさっている。 佳い文章を読むと、心が豊かになると 当時大人たちが言って聞かせていたのは本当だったと 今さらながら感じ入る。 佳い文章を読むと、各駅停車でも気にならなくなるし、 長らく買い替えていないバッグも、 カカトのすり減ったヒールも、 セットしきれていない髪型も気にならなくなる。 食うだけで精一杯の暮らしを送っていようが、 一生各駅停車に乗って旅をしようが、 毎日佳い本を読めて、絵を描いて過ごせるなら、それもいいかな とも思えてくるから不思議だ。 情報が津波のように毎日押し寄せる現代。 ちょっと目を離した隙に、話題に乗り遅れてしまった気がしたり、 人と一日つながらなかっただけで、 どうしようもない孤独感に苛まれてしまったり、 そんな人も少なからずいるだろうけど、 佳い本、佳い芸術に触れていると 垂れ流しの情報に煽られて、気持ちが浮き沈みするなんて つまらないことさ、と思えてくる。 と言いながら、私は情報をいかに魅力的に発信し人を惑わすか という広告という仕事に長らく携わってきた。 世の中は、モノに溢れ、情報に溢れ、物欲に溢れている。 オシャレな店で買い物をして、オシャレな服を着て、オシャレな店で食事をして オシャレに浸る私を他人にアピールして… 毎日毎日、垂れ流される情報に疑問すら抱かずに どっぷり情報の波に溺れている人たちを眺めながら、 この状況を許容していて良いのだろうかと葛藤もつきまとう。 ミイラ取りがミイラであることで、 良い仕事ができるのだと豪語する仲間もいた。 しかし、やはり『漂えど沈まず』でありたいと思う。 だから、本を読もう。 本を持って、外へ出かけよう。 美術館なら最高だ。 アートには自分が映し出されるから。 芸術にふれて、自分の心と対話しよう。 心の扉を開けて、隣人と話をしよう。 上質の言葉で、心をゆさぶる対話をしよう。 きっと本当に大切なものに出会えるはずだから。