【明治維新から150年、日本の文化を見つめ直す】
2018年は、明治維新から150年。 西洋の「美術」という観念による日本伝統の仕分けがされたのが150年前。 それまでの日本には「美術」という観念はなかったのです。 現代に至る日本美術の基盤を作ったと言われているのが、 お雇い外国人であったアーネスト・フェノロサと、 芸大の設立に貢献した美術評論家である岡倉天心。 まるでその土地土地によって八百万の神が存在していたように、 技法に違いがあっても、日本画、水墨画、文人画、など区別のなく混在していた日本に ジャンルという洋式のファイルを作って整えたのがこの時期です。 フェノロサは幕府御用達の狩野派を中心とした日本画の優秀性を説きました。 狩野派を推すフェノロサの指導の元、現代でいういわゆる美術界から、 さっと熱が引くように消えていったのが、池大雅や与謝蕪村などの文人画・水墨画で、 その流れが今の美術界の基盤となっています。 だから日本の大学では水墨画は教えていない、というわけです。 最近、明治維新から150年ということを深く意識したわけでもなく、 吸い寄せられるようにそれらの資料を手にして、 仕分けの行われる前、室町時代や江戸時代の絵師の描いた作品を隙間時間に模写しています。 それらは日本古来の宗教である神道、そこからうまれた神話などをモチーフに、 今見ても斬新で大胆な構図が、昨今の日本画における骨書きではない、力強い運筆で描かれています。 なんと言っても日本にしかない神獣霊獣などユニークな形。 雷、波、風、空気など、見えないもののダイナミックな表現には、つくづく驚かさます。 今の日本の美術における価値観を変えていきたい、 美術の根底から革命を起こしたい 表現者である私たちにできることはなんだろう、 室町時代、江戸時代との対話を通して、そんなことを考えています。
模写。岩佐又兵衛『小栗判官物語絵巻』(17世紀)より。